=汇集成的句子在动笔前一秒突然散开了,我再也回忆不起来那些是什么,我想说什么,全部被浓重的雾气所遮掩,不可追忆。就是不可追忆,才会聚成了这一秒的“现象”,因此,在这一秒,我想与你共享。
点播一首常用打字配乐:ことばのおばけがまどからみている
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“我无疑是该换个输入法了,mac自带的输入法对错别字的包容度是零,相比于手机的搜狗输入法简直过于坎坷,是一种钢琴演练(三排钢琴),对人类的精密度要求丝毫不差。刚刚对老师使用了真心话攻击,效果有,但致使我明天是真的不得不去上课了,好吧,现在抽象的作息不知能否坚持到明天下午的课程结束,一切的轴都不太对,我只能进行对自己的致敬。最近每天都在把鸡蛋和粽子一起煮,简直是方便得不行,只是昨天粽子口味挑选得失败,两个都是白粽子。汉语拼音怎么没有像日语罗马音的促音形态呢?当然有啦,对我来说可是一样的输入难度啊!我现在就给你举例子:liangge(两个)——我就经常打错为liange、lainge,太难了;顶难的词是:weishenem(为什么)——shensenmu、sweishenme、为什么,我是如此爱提问的人,我删掉“韦神恶魔”的次数是超人想象得多,我应该花时间去计算机设置界面对键盘快捷语进行编译,把以后输入的“韦神恶魔”全部替换掉。”
=旨在讨论抽象的文字表达是否能在一定程度上承载想要进行的意思表达。从讨论表达的无力感出发,寻找能够证明文字能够传递、随时传递情感的途径。不过这东西要真能实现了,也只是终于达成了文字界外他物直接达到的状态而已,文字的产生本就是一种思维的弯折、滞后,越是精通于绘画、音乐、甚至网络视听语言,疏于文字表达,文字的接收与表达力量就会再度退化,思维回路没有建立,反应自会比其他途径慢。——《文字有用》
=有个人突然说:我们也许应该换种表达。然后打了个补丁一样的,这个世界的语言结构进行了一些微调,完全依附于一个私人的用语习惯。——《言葉》
=是黄灿灿的“一番搾り”好喝呢,还是哑光银灰色的“dry生ビール”好喝呢。我将在连续灌了前者一周后的某天傍晚突然喝了一口后者后给后者投上那么十万票吧,后者还是在并非冰冻的状态下,真是有种小麦的纯粹味道和颗粒的口感,嘴里也像嚼上了小麦一样绵密松软。
家里蹲三天了,我需要看着日历来估计自己在家的日子和出门的日子,控制这些时间在一个合理的范围,交替运转。可每张画都像是要读条才能召唤,读条的时间往往是绘制时长的几十倍。如果就算以后画真能卖出去赚钱,我也会觉得自己拿着这钱心里也踏实不了吧。说实话,我看着太多鲜活而真诚的生命落得其所述的如此境地,实在心有不甘,就像是街上流浪的猫猫狗狗,在网上筹钱的病患,我也同样想尽自己的力。可每每言及此地,便会落得另一种结果,我又能做什么?猫狗病人隔着厚厚的藩篱,但日夜相处的人呢?我是真的喜欢这样的缺陷,并觉得这样的缺陷相当美,所以希望他们可以保持着“半死不活”的状态来像是无事发生一样永恒地与我同乐。只是我单方面的妄想和爱意罢了。——《在水户的出租屋里可是还有半箱啤酒啊!!》
=每日的见闻,经验,情绪,累加的东西。因果的累加。逻辑哲学,愿意囊括世界的心胸。你是真的很不一般啊。明明看起来那么普通。这是自我感动吗,我真的全面地认识了这个世界,这些真实吗?你喜欢把这些都强迫性地搞懂,你试图理解一切。你为此付出全部的努力,甚至要为此表现得毫不在意,其实想知道得要死。你爱那些病患,你想知道他们为何沦落如此境地。你想要窥探。求知。是相同的。无限的好奇心。及其充沛的真挚情感,每时每刻。注意力失调。借助Entelechia。将全部的精神全都铭刻于自己的身上吧。我要接受这些。捡垃圾吗。这世界之海要怎么才能灌入一个人类的躯壳呢。有着如此的贪欲,我还能作为人存在吗?我要是生活在科技更发达的社会就好了。于是我死去后,重生于了那科技顶峰的社会。(108年后)你们三个看我的眼神还是老样子。——《酸奶杯里的未知成分》
……
***スクリーンの表にはコーヒーシミだらけ
自己アピール資料も30センチに越えても、自分の主張など全然出らなかった、一体どうなるのか。
以下はその一部の例:
R「その長期的なプロジェクトの中、最も重要なのは心の安定を保ち、翻訳そのものから満足感を得ることだと思います。半年の間に多くの経験を積み、さまざまな表現方法に慣れることができました。また、自分の考えを他人に伝えることに対する恐れもなくなり、以前は理解が難しかった文章も、今では容易に解釈できるようになりました」
P「でもそれ美術に関係ないだろう」
R「じゃあ、これどうだい」
R「私は多くのことに興味があり、それらが複雑で多面的な自分を編み上げています。私はずっと絵を通して自分の記憶や人生を整理し、身の回りで起きている出来事を捉え、リアルで生き生きとした作品を描きたいと思っています。油絵は、ゆったりとした雰囲気の中で多様で包容的な表現を可能にしてくれます。そのおかげで、多くのルールや制約から解放され、筆がキャンバス上を自由に動き回る瞬間は、私にとって非常に刺激的でワクワクします。」
P「うん、それは、なかなかまあまあだな、続けろう」
R「貴校の卒業展やキャンパスのオープンデイに訪れた際、個々の視点からの繊細で柔らかな表現、そして一部の作品が持つ夢のように幻想的な雰囲気に強く惹かれました。これらは、私の作品が持つテーマ(意識と夢の象徴的な表現)と非常に共鳴しており、深い興味を抱きました。私は村上春樹や筒井康隆の文学作品(『世界の終りとハードボイルド?ワンダーランド』、『虚人たち』、『虚航船団』)が大好きで、これらからも似たような感覚と衝撃を受けています。共通する心理的な葛藤から、私も自分自身をより深く掘り下げ、作品を通じてさらなる表現を探求できるのではないかと感じています。」
P「お前、ほんとに文学が好きかよ。だから美術に関係ないって言ってんだろう!なあぁ!」
P「それとももう一つわ」
P「『雰囲気』という言葉、絶対NGだ!使わないでよ!」
R「あれ、どうして?」
P「曖昧すぎる、誠意が全然出れない、詳しいに話せろう」
R「じゃあぁ、『基礎的な技法の習得においては、人体の構造をより深く学び、より生き生きとした表現ができるようになりたいと考えています。また、写生をたくさん行い、目で観察する機会を増やしながら、絵を描く練習を強化し、より多くの情報を含む作品を描けるようにしたいです。美術史を深く学びたいと思っており、歴史の中で自分を理解する手助けになるような先人を探します。色彩理論を学び、より簡単に心地よい色の組み合わせを描けるようになりたいです。』ってどう?」
P「うむ、美術に関係があればいい、ってが、その大学の特別な場所は重要だ。忘れないでくれ、そのあとも別々の美大の各自志望理由が必要だ、書こう」